あれからもう12年が経ちました。早いですね。2時46分の黙とうでは、どうしても涙が出てきます。
12年前の今日は、ドコモさんのビデオを朝まで編集していて、13時30分に代理店に校正用のDVDを届けて、眠くてすっきりしないので、その足で床屋さんに行き髪を切っていた時でした。
床屋さんで中途半端に停電して、変な髪形のまま事務所に戻ると、屋上の水のタンクが倒れて、水浸しでぐちゃぐちゃで驚いたのを覚えています。※編集していたPCのHDD死んでました。ハハハハ!。
そのあとからは、国土交通省さんの復興に関する仕事が次々舞い込み、今ではほとんどビデオ会社になってしまいました。メインでやっていた不動産の仕事は、仙台の仕事も東京の代理店がやるようになり、どんどん減っていて、どうなることやらですね。
今は仙台市のG7の会議で使うビデオと震災遺構を紹介するビデオを作っている最中です。内容はどちらも震災関連で、ほぼライフワーク化してきました。久しぶりに普通のTVCMも作っていますよ。
で、今月はそんな震災の今を福島県に取材があります。色々と見て、聞いて、録画して。
そんなこんなで、12年目がスタートします。
震災の教訓を次の世代に伝承していくには、どんどん変なもの、邪魔なもの、格好悪いものを作って、たくさんの人に「なんであんなものがそこにあるの?」という疑問を持たせないとダメだと思います。海岸に7メートルの防潮堤があるとか、邪魔だし恰好が悪いでしょ。それがなぜそうなったかを説明して納得してもらえないと、受け継がれないと思います。
だって、私が初めて仙台に来たときは、なんで便利な海沿いの平地に人が住んでいなくて、往来が不便な山の方に住んでいるのか?って、疑問を持ちましたもの。仙台は昔から津波が来る場所で、伊達政宗公はそれを見越して、仙台の青葉山に築城したんだなって。人の上に立つ人は先見の明がなくちゃだめですね。改めて、伊達政宗公は偉大だと思います。
生まれ育った函館は、津波が来ない安全な場所だったので、海に近い平地に人がたくさん住んでいます。ある意味、すごい恵まれた場所だったんだなあと。だから、いい奴ばっかりです。
仙台に住んでいるからには、みんなが、津波に対する教訓を次世代の人たちに伝えていかないとならない義務があると思います。そういう気持ちで、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
ということで、頑張っていきましょう。